オブネココラム

ほそぼそ産業医 その他MD.PhD.。ご放念下さい。

祖父の本棚

今週のお題「本棚の中身」

 祖父は、普通の人だったが本が好きだった。正確には本が好きな自分が好きだったのだと思う。太平洋戦争に人生を狂わされた一人で、戦争がなければ、学者になりたかったのだろうか、貧乏でなければ太宰治の先生の様な、高等遊民の暮らしがしたかったのだろうか、果たして本当にそれほどまでの知性への希求があったのか、あった筈だと自分に言い聞かせていただけなのか、もうそれはわからないし、そういう事にしておいてあげたいと思う。 祖父の本棚には、数学と哲学の本が中心で仏教の本もあった。静謐に美しく並べられた、彼の本棚には、マルクス資本論とか、井伏鱒二全集や世界文学全集もあった。子供の頃の私は、それをただ眺めているのが好きだった。一等大事な仏像の写真集は触らせてもらえなかったけれど、他は読み放題だった。資本論は、最初の一行目で意味がわからずやめた。祖父も、あれは読まずに飾っていたのではないかと思う。世界文学全集は、気に入った題名や作者を選んで読んだ。スタンダール、トーマスマン、ポー、名前が簡単でなんとなく、手に取って読み耽った。薄張りの紙がかかっていて、外箱から出し入れするたびにすこし破れてしまって、バレたら怒られるかと思っていたが怒られなかった。つまり、大人は誰も触らないからバレなかったのだと思う。
 今でも、あの本棚の匂いを思い出す。紙とインクの優しく知的な香り、突き放す様なカビ臭さ。本棚の隅に小さく置いてあった、可愛げのないネコの置物。棚板に薄く積もった埃。
あれは知性への憧れの香りだったのだと思う。私も、ああいう本棚を持ちたいと思う。最近は、電子版を購入する事が増えて、少し後悔している。
 本棚、それは知性への憧れを飾り立てる場所なのだと思う。