オブネココラム

ほそぼそ産業医 その他MD.PhD.。ご放念下さい。

買い揃えるという事

今週のお題「買いそろえたもの」

 今さらながら、西村賢太先生の文体に触れたくなり「一私小説書きの独語」をつまんで捻くり回してみた。と、西村先生を真似て書いてみる。

古本屋で数冊を買って帰り自宅で夜更けまで読んだものだった。と書かずに、古雑誌を数冊購め(もとめ)、深更アパートの一室であかずに捻くり回していた。と書くのが西村先生の文体。いつの時代の文豪じゃ?と思う不思議な文体の虜になる。

 西村賢太先生はご案内のとおり、中卒、15歳から貧困の中で一人暮らしをしていたという異色の芥川賞作家。自分でもどうしようもない暴力的なエネルギーを持て余しながらも、自称小心者の男が、捻くれて荒ぶったまま、大酒を飲み、私小説を書き、さっさと逝ってしまった。西村賢太が70才を過ぎたら、どんな風に老成していたのかしないのか、読みたかった。意外と、村上春樹先生の様に西村Radioとかやって、すかした感じで喋っていたりして。

 そんな荒くれ文豪の西村先生は、随筆で「いったいに私は、これで根がかなり神経質にできている。とりわけ書物に対してはそ傾向が一段と顕著であり、殊に保存用の本の取り扱いは、我ながら実に細心な所がある。」と書いている。

 保存用?、ここで凡人の私には共感ができなくなる。なんでも、「保存用の本とは、敬する物故私小説家数名の全著作を、指すのだが、(中略)より状態のいい物を見つけると、どうでも書い直さなければ気が済まない」そうで、「古書故に、それぞれに劣化防止のパラフィンをかけているのは勿論のこと、ものによっては帙にも収納するという念の入れよう」は、さっぱり理解がついていかない。版ごとの微妙な違いも把握している程、読み込んでいる形跡もあるし、ただ飾って置くだけの蔵書でもなさそうなのがまた凄い。「そうして買い揃えた対象本を各版合わせ都合二十七冊を架蔵するに至ったのは些か苦笑ものだ。」と、ご自身でも認める病的ぶりなのだ。買い揃えるとは、ここまでの執着と意地でもって購めるものなのかと思うと、私が買い揃えたものなぞ、何もないに等しい。

 西村賢太先生の紡ぐ物語は、もちろん創作の部分もあるとご本人も書いているが私小説である由、更に日記となると架空ではなく作者が実際に経験した物語として受け取って差し支えないと思う。中学卒業と同時に家を出て、日雇い仕事をしながらの生活。貧困といっても清貧とはいえない自堕落なもの。窓を開けるとラブホテルの壁が立ちふさがるアパートでの一人暮らし。「父親は性犯罪者だと云う事実を、片時も忘れたことがなかった」という、遺伝への恐れを背負った青年の、買淫。母親や姉への家庭内暴力。文章から立ち昇る時空は、時折、おぞましさと生臭さで満ちる。

そんな、共感も理解も絶した、こんな荒ぶる私小説家の随筆を、何故これほどまでに何度も読みたくなるのか、自分でもよくわからない。

 この渇望の理由を探すためだけの意地で、残された西村賢太先生の日記を全て買い揃えようかと思う。