オブネココラム

ほそぼそ産業医 その他MD.PhD.。ご放念下さい。

情報の樹海の迷い方

生きていればそれなりに色々あります。
面白い事、楽しい事、理不尽なこと。毎日起こるちょっとした出来事を小噺にして職場の仲間達に聴いてもらって来ました。お陰様で私はすっきりして毎日を機嫌よく過ごしています。皆さまありがとうございます。
そういう話は同業者にしか通じなくて、世間に向けてはするべきではなくて、でもそこが一番面白かったりするんですよね。担任の先生のモノマネの方が芸能人のモノマネより面白い様に。
コロナ禍になって、休憩時間に無駄話をする事もなくなり、飲み会もなくなり、SNSがその代わりになってくれそうな気がしました。そこでは色んな話が行き交っていて、ギリギリを狙った玉石混合な空気が面白いと思った時もありました。が、余りの激流に着いて行けず私なんかは断念しました。
Twitterを中断して気付いた事があります。
世の中が平和なのです。
TVなどの公共の電波からは、綺麗に編集された国会の様子、きちんとリーダーシップを発揮する知事が牽引する行政の事なんかを、落ち着いた声のアナウンサーが説明してくれる。社会は上手く回っている様だ。めでたしめでたし。?
ところで実際に世界は平和になったのかというともちろんそんな事はないのでした。
 世の中で何が起きていて自分はどうするべきかどう生きるべきか、を考える時、情報は必要だけれど、多すぎると先が見えなくなる。道がわからなくなる。難しい。
 吉本隆明先生の「何に向かって読むのか」という短編に、先生ご自身の知性への渇望とか迷いが書いてあった。渇望を抱えて本を読み耽っていた若かりし先生。
世界の事や自分の事を、知りたい理解したい欲望と葛藤するその過程に意味があるんですよね。迷うのが正解なんですよね。ね、吉本先生。
という訳で、これから私も迷子を楽しみます。帰って来れるかな?
私が帰り道がわからなくなったら、先生、また探しに来て下さい。