オブネココラム

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赤い十字 物語としてしか語れない物語

赤い十字 サーシャフィリペンコ 名倉有利訳

 第二次世界大戦前後のソ連を生き抜いた一人の女性。90歳を超えてアルツハイマーを患っているが、それでも気丈な婆さんが語る、彼女の人生。 

 スターリン体制のソ連は、敵国からの赤十字を通じた再三の捕虜交換に応じようとしなかった。本当に勇敢に戦う兵士は、捕虜になんかならない。捕虜になることは祖国を裏切る事であり、反逆罪なのだ。そしてその兵士の家族も同じ罪と断じられ、銃殺されるか、あるいは収容所に送られた。粛清、矯正という表現の元で行われた秘密警察による自国民への虐殺、拷問。残された現実の資料を丁寧に読み込んでから書かれた小説だ。

 遠い過去の事とはいえ、日本の入国管理施設での収容の実態や、ウクライナで起こった戦争犯罪のニュースを聞くにつれ、21世紀になったとて、もうあの様な惨禍は起こるはずがないと無邪気に信じる事はよはやできない。

 物語は主にタチヤーナの人生にそって語られる。モスクワの公的機関で働き、戦争終結後に反逆罪を犯した兵士の妻という罪状で、幼い娘と引き離され収容所に送られたタチヤーナ。収容所から出た後、夫と16歳になっている筈の娘を探す事に残りの人生を費やした。とても、とても胸が苦しくなる物語だ。

 作者はきちんと描いていた。スターリン体制によって人生を壊されて、それでも気丈に生きてきた同国民のタチヤーナを目の前にして、彼女の苦しい人生の話を聞いてなお、

「粛清なんてもんはなかった――みんなでっちあげだ。ドキュメンタリー番組で見たぞ。スターリンは国を建て直そうと頑張ってたのに、いまごろになってボンクラ民主主義者たちがわざわざ書類を偽造してアーカイヴに混ぜ込んでやがるんだ、党の名誉を傷つけるためにな。」と、喋り続ける人物。

 人は信じたいものだけを信じてしまう。個人に贖罪を求めているのではなく、国民として人間として、過去の過ちに学ぼうという事になぜ拒否反応を示して攻撃的になるのか。そういう人はある一定数必ずいる。それは2000年のソ連でも、香港でも、現在の日本でもそうなのだ。どうしてなのだろう。そんな彼らも、近寄って見ると、優しい心根の普通の人だったりするのに。

『そんなあなたの事も守りたい』

演説中にヤジを飛ばされて、返す刀でそう絶叫した政治家がいた。

山本太郎

日本もまだ捨てたもんじゃないかも知れない。