オブネココラム

ほそぼそ産業医 その他MD.PhD.。ご放念下さい。

ぞっとしない話

今週のお題「ゾッとした話」

「それは、ぞっとしないね」

 そんな台詞が出てきたのは、なんの小説だったかは忘れてしまったが、いつまでも心のどこかに引っかかっていた。いつか、日常の会話の中で使ってやろう密かに考えたのは、高校生ぐらいの頃だったと思う。なんとクールな台詞なのだろう。年配の、周囲に一目おかれている登場人物の一言。当時の私は、そうか、彼はゾッとしたかったのか。けれども結局はゾッとしなかったのだ。つまり、胸踊る展開を期待したのに、つまらないなあ、と言ったのだ。その事を、期待外れだな、などと言うより、ぞっとしないね、と言う方が、ありもしない含意を勝手に台詞の奥に感じて重厚な空気に酔いしれた。と、まあ当たらずとも遠からずの解釈をしていたのかもしれない。

 結局、その台詞を日常で使うことはついぞ訪れなかったが、何かのはずみに「ぞっとしない」の意味がぞっとするとはあまり関係なく、感心しない、とか面白くない、の意味であると知って驚いた。と言うより、知った風を装ってその台詞を使っていたかもと思うと、ぞっとした。

いずれにせよ「ぞっとしないね」は、金田一耕助先生あたりが口にして初めて、あの重厚な空気が立ち昇るのであって、若僧が口にしたところで、言葉の持つ、場の主催力は全く出せないのだ。

そう、台詞に力を持たせる為には、誰が口にするかという問題もある。

 小学校低学年の頃、母親に髪をさっぱり切られた事がある。美容師でも何でもない素人の母親が子供の髪を切ったら、それはそういう仕上がりだったのだと思うが、本人も母もさして気にも止めずにいた。翌日になり学校へ行くと、突然に短く刈り取られた頭髪に、周囲は言及しない訳にはいかない。ちょっとした騒ぎになって子供たちは盛り上がる。そんな友人達を見て、私は思ったのだ。そうだ、今こそあの台詞を使う時だ、と。

あの台詞とは、数日前に、近所に住むお姉さんが使っていた、ある素敵な台詞だ。

「そうなの。切っちゃった」

お姉さんといっても小学5年生とかの事だ。数十年前の田舎の小学生が美容院に行く習慣はなかったから、私の断髪も彼女の散髪も、客観的には大して違いはなかったに違いない。

数日前のその時、少しはにかんだ様子の彼女に対して、周囲は賞賛と憧れを表明したのだった。

「かわいい」

「短いのも似合うね」

 偶然に通りすがった私は、そんな一連のやり取りを目撃していたのだった。きらきらの、女子トーク。あの台詞は周囲の称賛を呼び込む魔法の言葉に聞こえたのだ。

だから私は真似をして、そっと言ってみた。

「そうなの。切っちゃった」

 その後の出来事は、想像に難くない、まあぞっとしない結末だったのは言うまでもない。さらに言うと、強いくせ毛だった私は「キューピーみたい」と囃し立てられたのだった。

そして、その後しばらく、あだ名はなぜかマヨネーズだった。

 ぞっとしない思い出である。

 

 

 

男性用日傘の様な仕事っぷりを目指す

今週のお題「最近買った便利なもの」とうとう買ってしまったのは男性用日傘だった。ギラギラを通り越して殺意を感じる日差し、紫陽花の葉さえぐったりする夏の仕打ちに耐えきれずに手にしてしまった。男性用日傘は何が違うかというと、とにかく大きい。小さな日傘をちょこんとさすのは優雅なマダム仕草だと、誰かが言ったわけではないのだけれど、そう思い込んでしまっていると恥ずかしくてできないのだ。で、男性用日傘だ。雨傘を、暑さに負けて仕方なくさしている風(と自分に言い聞かせているところが中年の悲哀だな)に、大手を振って歩けるのだ。

 安心快適便利を追求する時、どこからともなく後ろめたさがやってくる。便利さと引き換えに何を差し出せば赦されるのだろうかと不安になる。「フォースタス博士」の様に、悪魔が取り立てにやってくるのではないかと恐ろしくなる。「フォースタス博士」では、悪魔であるメフィストフェレスが、フォースタス博士に近づき、ある提案をする。フォースタス博士に、これから24年にわたって絶対的な能力と際限のない悦楽を約束する。そのかわりに、期限がきたらメフィストフェレスに魂を渡さなければならない。期限が来て、フォースタス博士は絶望しながら悪魔に連れ去られる。なんとも怖くて暗い物語だ。

快適便利な物をちょっと買っただけで何を大袈裟な。けれど、何も明け渡さずに、何かを得ることは出来ないという事は恐らく真実だ。そんな都合のいい事を望んでいると、「買わず女房」の様に、化け物に捕まってしまう。「食わず女房」とは日本昔話のひとつで、ごはんを全く食べずによく働くという嫁っこをもらったケチな男が、その女房が実は鬼で、頭のてっぺんに大きな口があり、男が留守にしている間にその口から大量のごはんを食べていたことがわかってしまう。という、いいとこ取りをしようとする浅ましさを諌める物語だ。

 何かを手に入れて、その都度何かを手放して、浅ましくない生き方をしたいと思う。自分が手放すものが、何か社会にとって良きものでありますように。今日も、とつとつと、仕事しよ。

読まない方がいい本のススメ

今週のお題「読みたい本」広島の原爆被害を描いた漫画「はだしのゲン」が2023年新年度から、広島市内の小学校で使う平和教育教材を見直し、使用しない方針と報じられた。

 数十年前の子供にとっても、はだしのゲンは腫れ物に触る様な扱いをされていたと記憶している。読むなと言いたい様な、けれど真正面から禁止もできない、という大人たちの葛藤の手垢がついた「はだしのゲン」を、鼻をきかせて手にとり読んでしまった子供の一人が、私でした。あの頃の大人達が本当はどういう思いでいたのか、今となっては知りようもないけれど、「はだしのゲン」と聞くと、漫画そのものの強烈な印象と、それを真剣に読む子供を見つめる大人達の微妙な顔つき、市民図書館のべたべたした椅子の感触が思い出される。読む前と読んだ後で読者の人格の何かを変えてしまう力が、はだしのゲンにはあると思う。戦争反対、平和に皆んな仲良くしましょうなんていう、薄っぺらいものではなく、もっとどろどろとした、生き延びる事への執着心や、死と隣り合わせで初めて見えてくる生きることの生臭さや醍醐味を追体験させられる。言うなれば、はだしのゲンを読んだ後は人格が複雑な方向に変わってしまう、単純だった子供がその分だけ大人になれる、そういう読者体験が得られる作品だと思う。戦争が、物事を単純に考える人が始めてしまうものだとすると、あれは読んでおいた方が戦争抑止になる。

 先日、プレジデントオンラインに「『源氏物語』は、デカダンスの時代、ほんのひとつまみほどの貴族を愉しませることを目的とした作品。腐敗した摂関政治の時代の、腐敗した貴族社会の空気を恐ろしいほど生きいきと伝えている。  だから、健全な読者は、こんな背徳乱倫の物語などは読まない方がいい」と、作家先生が寄稿されていて、腰を抜かしてしまった。あれは架空の、しかも千年も昔の時代の物語で、近そうに見えて永遠の様に遠くにある何某かの「もののあわれ」を堪能できる(という錯覚なのかも知れないが)普遍的な文学なのだと思っていたから、作家先生がそんな事言うなんて、とにかく驚いた。源氏物語は、もっと下世話に言うと、変な人と思われずに現実逃避を楽しめる物語だと思っている。そんな便利な現実逃避文学を読まない方がいいだなんて、先生ひどいじゃないですか。ところで記事をよく読むと、中村真一郎先生が言いたかったのは、「あまり文学の判らない人たちに、読まないことの劣等感を刺戟するようなことを言って、あおり立てない方がいいと思う。」という事だった。それで少しほっとしたが、同時に、「ははは。読むなと言ったら、君たちは読みたくなるんだろう、お見通しだよ」という、弟子を導く師匠の、高尚な微笑みを勝手に読み取ってしまったのは、私がひねくれ者だからというだけではないだろう。そう考えるともしかしたら、源氏物語は昔から、読むなよ、読むなよー、と言われ続けて千年、読み継がれてきた文学なのかもしれない。

それに比べると、谷崎潤一郎先生の「痴人の愛」などは、子供っぽい連中には理解が追いつかいだろうだから、読むなとまで言わなくても大丈夫と、考えられているのだと思う。ところがどっこい、谷崎潤一郎先生ときたら、君になら分かるだろう、と(それは読者の勝手な幻覚なのは分かっているが)あの美しい文体で、力ずくでもって、グロテスクな愛とは何か、を理解させてしまうのだ。谷崎潤一郎の物語に身体を通すと、現実に性犯罪を犯してしまうリスクは減ると思う。なぜなら、犯罪の原動力となる、人間の奥深くに沈められている愛憎、寂しさや哀しさ、脆さを追体験できたなら、もう犯罪を犯してまでそれを発露する必要がないから。そう。谷崎潤一郎文学も、読むなと言われて読む文学なのだと思う。いま一度読んでみよう。

 

 

 

 

 

無人島に持っていく4分33秒

今週のお題「わたしのプレイリスト」4分33秒」という楽曲がある。アメリカの作曲家ジョン・ケージが作曲し、1952年に初演された「3楽章」から成る楽曲である。全楽章が休みとなっていて、無音の状態が続いた後、演奏終了となる。放送事故か、一休さんのトンチか、何のことか分からない楽曲なのである。

 先日、坂本龍一さんがテレビに出てらして、この楽曲について言及されていた。もちろん再放送なのだがその時、坂本さんは、全くの無音というのはあり得なくて、テレビを観ている方にとっては生活音が聞こえるだろうし、世界は色々な音に溢れているので、外の鳥の声が聞こえるかもしれないし、各々が聞こえる音が違う所が面白い、と仰っていた。

 私には、ショパンエチュードが聞こえて来た。それは、その映像の演奏者がピアニストだったから。演奏者が坂本龍一さんなら、ラストエンペラーが聞こえたと思うし、体格のいいバイオリニストなら、エルガーの威風堂々あたりが聞こえたかもしれない。つまり、何のことはない、幻聴なのだ。つまり、あの曲は聴衆それぞれが幻聴を楽しむ楽曲なのではないかと思うのです。

 無人島に持って行くCDを一枚だけ選んで下さいと言われて、ヒットチャートのリストを持って行く、それさえあれば全曲思い出せるから、自分で脳内再生して楽しめるから。と答えたのはどなただったか忘れてしまったけれど、そうすると幻聴を楽しむ派は、4分33秒の楽譜があればいいという事になる。その楽譜さえあれば、ありとあらゆる音楽を楽しむ事ができるから。いっそ、楽譜が読めなくたって構わない。素晴らしい事に、TACET(休止)としか書いてないのだ。

日和見菌が矜持を持つと社会は変わると信じたい

 私達は、社会という身体に棲みついている腸内細菌の様なものだと思う。一人ひとりは驚く程に無力だ。しかし集団で宿主に信号を送り、宿主の食欲をコントロールしたり、宿主の免疫を調整し発癌を抑えたりすることによって、宿主が健やかなる様に、結果的に自分達が快適に生きられる様に環境を整える。

 そんな賢い腸内細菌叢だが、近寄って見ると、善玉菌と悪玉菌と日和見菌に分類される。大雑把にいうと悪玉菌が増えると、宿主の生きる力は衰える。菌叢のうちの大多数は日和見菌だ。日和見菌は、普段はぼんやりしていて宿主に立って有益でも害悪でもない。しかし悪玉菌が増えすぎると、日和見菌は悪玉菌と同じ様な振る舞いを始める。それならば、善玉菌だけの腸内細菌が理想なのかというと、そんな単純なものではない。善玉菌と考えられている菌の中でも突然悪玉菌の様な振る舞いを始める菌もいるし、単一の細菌のみ増殖させる事は、無菌室での培養でも難しい上に、単一集団はとても脆く、簡単に死滅してしまう。そもそも、自然界では既に、ありとあらゆる細菌が共存してしまっている状態が前提なのだ。

 人間社会に話を戻すと、日本では入管施設で難民を収容したり、快適に生きられないと分かっている国に送り返そうとしたりしている。

入管のやり方に賛成する人達は、それによってどの様な日本社会を目指そうとしているのだろうか?悪玉菌(と彼らが考える)外国人を排除して、善玉菌だけの社会を作りたいのか?その試みは間違っているし、不可能である事は、自然界の大先輩である細菌叢の振る舞いを見れば明らかだ。私は、難民をたくさん受け入れて日本を好きになってもらって、もしもいつか、自分達が迫害されるような日が来たら助けてもらう。おうた子に教えられ、の精神の方がいいと思う。その方が、様々な地政学リスクヘッジに繋がると思う。

 ところで、人間社会では時々、超善玉菌とでもいうべき人物が現れる。たった一人で社会を変える偉業を成し遂げる様な人物。権力者達の、ちっぽけな権力欲や、ケチな正義を超えて、人類全体として健やかに生き延びる可能性を拡げた人物。例えば、民族迫害の場面においては、命のビザを発行し続け多くのユダヤ人を救ったとされる杉原千畝氏。けれども、想像に難くないところが哀しいが、当時の彼は、賞賛されるどころか左遷された経緯を持つ。権力側の意向に沿わない者が排除される光景は、現在も目の前で繰り広げられている。

 権力とは何かを考えてみる。権力者を権力者たらしめているのは、その他の大多数が、彼らを権力者と認めている、それだけの理由だ。つまり、集団の多数派である日和見菌たちのぼんやりした振る舞いが、権力者に権力を与えている。民衆とは、悪玉菌に簡単に同調してしまう、哀しき日和見菌なのだ。

 さて、超善玉菌もいれば超悪玉菌の様な人物もいる。悪玉菌そのものに悪意があって、宿主を滅亡させようと考えている訳ではないのと同様、超悪玉菌の様な人物も、社会を荒廃させようという意図があってその様な振る舞いをする訳ではないところに問題の根深さがある。例えばロシアのプーチン大統領。彼が悪玉菌としての宿痾からあの様な行動をしていて、それは彼なりの理想の社会を実現しようと試みているのだとすると、悪玉菌がそうである様に、プーチン的なものを殲滅させる事は不可能であると同時に、得策ではないだろう。

 悪玉菌は殲滅ではなく抑制する。あの腸内細菌叢の生き残り戦略に倣うのならば、鍵は日和見菌の振る舞いだ。いつだって多数派で、なんとなくぼんやりしている日和見菌だが、私達日和見菌族の人間には、本家の菌とは違い、一人ひとりが考えて行動する能力がある。

一握りの悪玉菌たちの、ケチな正義や強欲なんか踏み超えて、人間社会の健全な存続を目指して振る舞おうと思う。

 日和見菌よ、矜持を抱け

小曽根真さんに教わった、諦めるということ

今週のお題「変わった」久しぶりに、小曽根真さんのピアノが聴こえて来ました。あの、個性的で美しいリズムと和音。一小節聴いただけで小曽根さんだ!とわかるあの音色はどうなっているのだろう?しばし、うっとりと余韻を楽しんでいる自分に気がつきました。私が小曽根さんのピアノを楽しめるなんて、私も変わったなあ、と思うのです。

 私は、小曽根さんに人生を変えられたうちの一人です。といっても、小曽根真に憧れてピアニストを目指した、のではなくその逆で、ピアニストで食べていくなんて、何が起こっても私には絶対に無理とガツンと腑に落ちたのでした。あの、あまりにも美しい旋律を聴かされて、あの域に達するのはどう考えても不可能だと、思い知らされたのでした。それからというもの、小曽根さんのピアノを聴くと、お腹の奥がきゅっとなる様な茫漠とした苦しさが蘇るので、何となく避けてしまっていました、諦めがつくまでは。なんだか失恋に似ていなくもない。

今では小曽根さんの音楽を、苦しさを感じることなく美しく楽しめるようになっています。私も変わったなあ、というか歳とったなあ。という感慨です。

 九浪しても医学部に合格しなかった娘が、医師にさせたかった母を殺してしまった事件がありました。母による壮絶な教育虐待の末路といった事件だったようですが、それにしても胸が潰れる思いです。あの母娘は、もし、娘がすんなり医者になっていたら幸せだったのだろうかと、考えてしまいます。そうではないと思うから。娘とはいえ、他人の人生を生きようとする母親には、人生の醍醐味は味わえないし、幸せは訪れない。医師になろうがなるまいが、娘はいつか、すがりついてくる母を捨てなければいけなかっただろうと思います。諦める事も、時には必要なのだ。あの母親にとっては娘を諦める事、娘は母親を諦めること。それにしても辛い結末の事件でした。

 本人が選びとった道であったとしても、どんな憧れの職業でも、現役で働く人に聞いたら、ほぼ全員が、それなりに楽しいけれど、思い描いてきた程ではなかった、と答えると思うのです。憧れの小曽根真さんにしてもきっと、色々あって、何かを諦めてきたと思うのです。知らんけど。

 数十年前の記憶が蘇ってきました。私が大学の入学願書を買いに本屋さんへ行った時の事です。あの頃は、本屋さんで入学願書を購入して書いて郵送していたのでした。その時、私の背後で店員さんと話し込んでいる男性がいました。小曽根真さんの声ではありませんか!勇気を振り絞って、声をかけて握手してもらいました。あの時、持ってた願書にサインしてもらえばよかったと、それだけは今でも後悔しています。偶然出会った事の証拠がないのだから。

 あの時、握手をしてやった高校生は、その時握りしめていた願書を出した大学を卒業して、こうして平和に大人をやっていますよ。小曽根さんの意図とは、もはや関係なく勝手に諦めて、自然と背中を押されて、自分の人生を選択してきましたよ。

他人の人生を変えるって、こういう事なんですね、小曽根さん。

 

 

ばあちゃんと桜

今週のお題「お花見」桜が咲きはじめると、何やら華やいだ気分になる。卒業も入学も、職場移動も何もない、窓ぎわ身分の中年にも、春は優しくしてくれる。まるで、ナンバーワンホステスが末席のしょぼくれた客にも笑顔をくれる様に、桜は観る人全てに、美しい桜色の微笑をふりまいてくれる。

いつも見ているはずの山の端に、パッチワークの様に現れるぼんやした桜色の塊を見つけて、そこに桜の木があったことを知り、世界の秘密をひとつ知ってしまった様な優越感にひたる。といっても、ひとりでふふんと鼻を鳴らし、続いて花粉症のためにくしゃみが止まらなくなるだけなのだが。

 満開の桜の、あまりの優美さに圧倒されて、息をするのを忘れてしまった事があった。息を呑むとはこういう事なのかと、ひとつ大人になれた気がして嬉しくなったのは、小学生の頃に祖母に連れて行ってもらった、見事な桜並木を見た時だった。最近ではオーバーツーリズムが問題となっていて、つまり美しい場所に人が集まり過ぎて、桜に申し訳ないので景勝地と言われる場所に足が向かなくなってしまったが、数十年前のその場所も、とても人が多かった。祖母は迷子にさせない様に私の手をしっかりと握ってくれていたように記憶している。子供の私は、この美しい桜のトンネルを抜けた先には、美しいけれど知らない街があって、足を踏み入れたら最後、二度と戻って来られない様な気がして怖くなった。その恐怖から、しっかりと祖母の手を握り返したので、握られた二人の手は、私の汗でじっとりとしていた。

その時祖母は、睨めつける様にして桜を凝視している私をちらりと見て、その気持ちを知ってから知らずか突如、言い放ったのだ。

 ぱっと咲いた桜の花が

 春の嵐にもう散った

 あれは何だったのだろうか?何十年も前の事なのに、そんな祖母の一言がどうにも忘れられない。桜が散るところを悲しがる子供に見えたのか?人混みを怖がる子供を和ませようとしたのか?

風流に言うなら、

 久方のひかりのどけき春の日に

 しづこころなく花のちるらむ

でしょうに、ばあちゃん。

教養をひけらかす事もなく、あっけらかんと言ってのけたところがとても潔くて、そう、ばあちゃんはとてもとても可愛い人だった。

 私が本を読んでいると、それだけで褒めてくれた、私のばあちゃん。本を読め、勉強しろ。勉強して頭に入った事柄は、誰にも泥棒出来ないから、とにかく勉強せい。いつも、そう言っていたばあちゃん。大正、昭和を生きぬき、戦争にも翻弄された人の、生き抜く知恵が詰まった言葉を、いつも一生懸命に投げかけていた。

 春の嵐にもう散った、の後には「来年もまた連れて来ちゃるからな」と続けて、にっこり微笑んでくれたばあちゃんの、おくれ毛のくるくるしたところを、私は受け継いでいる。

 あの桜並木がどこだったのか、翌年に同じ桜を見に行ったのかどうか、覚えていない。けれど今年も、桜はそこらじゅうで咲いている。

 桜が散るのを見ると、よくわからない、あのばあちゃんの詩を思い出してしまう。

 桜は、春の嵐に散っても、来年また咲いてくれるから、心配しなくていいよ。

ばあちゃんは、そう言いたかったのだろう。