オブネココラム

ほそぼそ産業医 その他MD.PhD.。ご放念下さい。

日和見菌が矜持を持つと社会は変わると信じたい

 私達は、社会という身体に棲みついている腸内細菌の様なものだと思う。一人ひとりは驚く程に無力だ。しかし集団で宿主に信号を送り、宿主の食欲をコントロールしたり、宿主の免疫を調整し発癌を抑えたりすることによって、宿主が健やかなる様に、結果的に自分達が快適に生きられる様に環境を整える。

 そんな賢い腸内細菌叢だが、近寄って見ると、善玉菌と悪玉菌と日和見菌に分類される。大雑把にいうと悪玉菌が増えると、宿主の生きる力は衰える。菌叢のうちの大多数は日和見菌だ。日和見菌は、普段はぼんやりしていて宿主に立って有益でも害悪でもない。しかし悪玉菌が増えすぎると、日和見菌は悪玉菌と同じ様な振る舞いを始める。それならば、善玉菌だけの腸内細菌が理想なのかというと、そんな単純なものではない。善玉菌と考えられている菌の中でも突然悪玉菌の様な振る舞いを始める菌もいるし、単一の細菌のみ増殖させる事は、無菌室での培養でも難しい上に、単一集団はとても脆く、簡単に死滅してしまう。そもそも、自然界では既に、ありとあらゆる細菌が共存してしまっている状態が前提なのだ。

 人間社会に話を戻すと、日本では入管施設で難民を収容したり、快適に生きられないと分かっている国に送り返そうとしたりしている。

入管のやり方に賛成する人達は、それによってどの様な日本社会を目指そうとしているのだろうか?悪玉菌(と彼らが考える)外国人を排除して、善玉菌だけの社会を作りたいのか?その試みは間違っているし、不可能である事は、自然界の大先輩である細菌叢の振る舞いを見れば明らかだ。私は、難民をたくさん受け入れて日本を好きになってもらって、もしもいつか、自分達が迫害されるような日が来たら助けてもらう。おうた子に教えられ、の精神の方がいいと思う。その方が、様々な地政学リスクヘッジに繋がると思う。

 ところで、人間社会では時々、超善玉菌とでもいうべき人物が現れる。たった一人で社会を変える偉業を成し遂げる様な人物。権力者達の、ちっぽけな権力欲や、ケチな正義を超えて、人類全体として健やかに生き延びる可能性を拡げた人物。例えば、民族迫害の場面においては、命のビザを発行し続け多くのユダヤ人を救ったとされる杉原千畝氏。けれども、想像に難くないところが哀しいが、当時の彼は、賞賛されるどころか左遷された経緯を持つ。権力側の意向に沿わない者が排除される光景は、現在も目の前で繰り広げられている。

 権力とは何かを考えてみる。権力者を権力者たらしめているのは、その他の大多数が、彼らを権力者と認めている、それだけの理由だ。つまり、集団の多数派である日和見菌たちのぼんやりした振る舞いが、権力者に権力を与えている。民衆とは、悪玉菌に簡単に同調してしまう、哀しき日和見菌なのだ。

 さて、超善玉菌もいれば超悪玉菌の様な人物もいる。悪玉菌そのものに悪意があって、宿主を滅亡させようと考えている訳ではないのと同様、超悪玉菌の様な人物も、社会を荒廃させようという意図があってその様な振る舞いをする訳ではないところに問題の根深さがある。例えばロシアのプーチン大統領。彼が悪玉菌としての宿痾からあの様な行動をしていて、それは彼なりの理想の社会を実現しようと試みているのだとすると、悪玉菌がそうである様に、プーチン的なものを殲滅させる事は不可能であると同時に、得策ではないだろう。

 悪玉菌は殲滅ではなく抑制する。あの腸内細菌叢の生き残り戦略に倣うのならば、鍵は日和見菌の振る舞いだ。いつだって多数派で、なんとなくぼんやりしている日和見菌だが、私達日和見菌族の人間には、本家の菌とは違い、一人ひとりが考えて行動する能力がある。

一握りの悪玉菌たちの、ケチな正義や強欲なんか踏み超えて、人間社会の健全な存続を目指して振る舞おうと思う。

 日和見菌よ、矜持を抱け