オブネココラム

ほそぼそ産業医 その他MD.PhD.。ご放念下さい。

小曽根真さんに教わった、諦めるということ

今週のお題「変わった」久しぶりに、小曽根真さんのピアノが聴こえて来ました。あの、個性的で美しいリズムと和音。一小節聴いただけで小曽根さんだ!とわかるあの音色はどうなっているのだろう?しばし、うっとりと余韻を楽しんでいる自分に気がつきました。私が小曽根さんのピアノを楽しめるなんて、私も変わったなあ、と思うのです。

 私は、小曽根さんに人生を変えられたうちの一人です。といっても、小曽根真に憧れてピアニストを目指した、のではなくその逆で、ピアニストで食べていくなんて、何が起こっても私には絶対に無理とガツンと腑に落ちたのでした。あの、あまりにも美しい旋律を聴かされて、あの域に達するのはどう考えても不可能だと、思い知らされたのでした。それからというもの、小曽根さんのピアノを聴くと、お腹の奥がきゅっとなる様な茫漠とした苦しさが蘇るので、何となく避けてしまっていました、諦めがつくまでは。なんだか失恋に似ていなくもない。

今では小曽根さんの音楽を、苦しさを感じることなく美しく楽しめるようになっています。私も変わったなあ、というか歳とったなあ。という感慨です。

 九浪しても医学部に合格しなかった娘が、医師にさせたかった母を殺してしまった事件がありました。母による壮絶な教育虐待の末路といった事件だったようですが、それにしても胸が潰れる思いです。あの母娘は、もし、娘がすんなり医者になっていたら幸せだったのだろうかと、考えてしまいます。そうではないと思うから。娘とはいえ、他人の人生を生きようとする母親には、人生の醍醐味は味わえないし、幸せは訪れない。医師になろうがなるまいが、娘はいつか、すがりついてくる母を捨てなければいけなかっただろうと思います。諦める事も、時には必要なのだ。あの母親にとっては娘を諦める事、娘は母親を諦めること。それにしても辛い結末の事件でした。

 本人が選びとった道であったとしても、どんな憧れの職業でも、現役で働く人に聞いたら、ほぼ全員が、それなりに楽しいけれど、思い描いてきた程ではなかった、と答えると思うのです。憧れの小曽根真さんにしてもきっと、色々あって、何かを諦めてきたと思うのです。知らんけど。

 数十年前の記憶が蘇ってきました。私が大学の入学願書を買いに本屋さんへ行った時の事です。あの頃は、本屋さんで入学願書を購入して書いて郵送していたのでした。その時、私の背後で店員さんと話し込んでいる男性がいました。小曽根真さんの声ではありませんか!勇気を振り絞って、声をかけて握手してもらいました。あの時、持ってた願書にサインしてもらえばよかったと、それだけは今でも後悔しています。偶然出会った事の証拠がないのだから。

 あの時、握手をしてやった高校生は、その時握りしめていた願書を出した大学を卒業して、こうして平和に大人をやっていますよ。小曽根さんの意図とは、もはや関係なく勝手に諦めて、自然と背中を押されて、自分の人生を選択してきましたよ。

他人の人生を変えるって、こういう事なんですね、小曽根さん。