オブネココラム

ほそぼそ産業医 その他MD.PhD.。ご放念下さい。

Coccoさんと、中島みゆきさん

Coccoさんが歌うと、いつまでも、それを見ていたくなる。曲が終わるのが寂しくなる。どうしようもなく離れがたく、心に留めておきたくて、息を呑む。

あの人が歌う姿はまるで巫女の様だ。それも、とびきり位の高い巫女、聞得大君。普通の人間なのに、神様の声を聞いて人間に語りかける導管の役割を背負う霊的な職能者、というよりは憑依体質の人なのだと思う。死んだ人の霊がそのまま憑依するとか、そういう事ではなく、大地の力とか森羅万象といった壮大で人智を超えた神様としての存在が、憑依体質の人を導管として声となり、初めて人間が聞き取れるようになるのだ。何せ人智を超えているから、本来、神様の声は人間には聞こえないし、たとえ聞こえたとしても理解出来ない。導管になっている本人も神様の声として聞こえている訳ではないと思う。憑依体質の人は、神様のボイスを人の声にしているぶんには健康被害はないけれど、それ以外も拾ってしまう事が大変なのだと思う。感度の良すぎるラジオの様に、よくわからない周波数の音も拾ってしまうと、例えばそれが邪悪なものであったり、生臭いものであった場合、その人は生きづらいのだろうと気の毒に思う。Coccoさんの周囲の方々は、そういう事を分かっていてきちんと護っているのだと思う。だから、Coccoさんは穏やかに過ごされている様で何よりだ。

 憑依体質の対極にあるのがサイコパス気質だ。神様の声どころか、目の前にいる人の声も聞こえない、他人に対して共感出来ない。サイコパス気質の人はどういう気分なのだろうか?

私は一時、嗅覚を失った事がある。呼吸には全く影響がないのに、あらゆる物が無臭なのだ。とても不思議な感覚だった。世界の一部が色を失った様な、聞こえるはずの音が聞こえなくなり、世界が少し静かになったような変な感じだった。サイコパス気質の人は、世界の匂いを嗅ぐ感覚を失っていると考えると辻褄が合う。そして普通の嗅覚障害と同様に、本人も周囲もその障害を表現し難くてわからないから、補聴器をつけたり眼鏡をかけたり、といった対応が出来ないのだ。そして、世界を感じる感覚が極度に障害されたサイコパスである事に本人も周囲も気が付いていない場合、悲劇が起きるのだと思う。世界の匂いがわからない、世界の声が聞こえないと、どこに向かって生きてもいい様な傍若無人な気分になって、間違っていても軌道修正の必要性を理解出来なくなるのだと思う。

戦争を始めたあの人もサイコパスなのだろうか?背筋が凍る。

 中島みゆきさんの声はCoccoさんとは違う。ご本人が神様の様だ。神様の声を伝える巫女ではなく、観音様みたい。神様が人の形をして地上に降り、直接人間に語りかけるという、あの観音様。観音様は、古代から本当に、ほんの時々、現世に現れたのだと思う。それを忘れない様に観音像が作られたのだ。中島みゆきさんは現代の観音様だ。ご本人は少し迷惑かも知れない。人間なのに神様って、面倒な人生だろう。生まれてからずっとそうだと、慣れてしまうものかもしれない。とはいえ、何となく神様と共存する事になんか慣れるのだろうか?

凡人の共感力の限界が来たようだ。こんな事言われても、ご本人は迷惑だろう。申し訳ない。