オブネココラム

ほそぼそ産業医 その他MD.PhD.。ご放念下さい。

春のうららの中年の危機

 退職していく人、部署移動で遠くに行く人、転職していく人。去っていく人。春はいつだって、なんだか寂しい。若い頃は寂しさに打ちのめされそうになったものだが、年の功で感傷的な寂しさは受け流せる様になった。大人は、旅立ちや卒業や、花が散るぐらいで感情的になっている暇はないのだ。

 都会の大きな駅で構内を歩いていると、スーツ姿で花束を持っている人を見かけた。ああ、送別会なのか。背格好からして転勤かなあ?慣れ親しんだ職場を離れるに際して今はとりあえず寂しいだろう。

そう、彼は、検察事務官なのだ。この度、副検事試験に合格して、事務官を辞めて副検事として出発するのだ。事務官としてのキャリアは終わった事になる。出世レースから抜けられる身軽さと、だからと言って検事と同等の大きな仕事は出来なくて小さな案件をこなして行くだけの職務だし、それも自分に出来るのだろうか。そんな風に絡まっていく気持ちを、送別会で貰った花束の香りが解きほぐしていく。自分で選んだ道だから、進むしかない。深呼吸して、力強く踏みしめるように階段を登る。その背中は、とても可憐だ。頑張って。

 とかなんとか勝手に想像を膨らませる。これは私の悪い癖で、人の特徴をつらつらと(捏造で)描写する、一人妄想ごっこなのだが、本人には失礼なのでもちろん秘密にしている。

 大人は感傷的にはならないが、旅立つ人を見ると焦りが湧いてくるのだ。自分は何をやっているんだろう?とにかく毎日忙しくしているだけで進歩がない気がしてくる。自分は何者にもなれていないのに歳だけとってしまった。その上、老いのせいなのか?頭の回転があからさまに落ちている事に愕然とする。こんな調子であと何年仕事を続けられるのだろうか?あの人もこの人も、眩しい活躍を続けているのに、自分は何をやっているんだろう。

 そうか、これが中年の危機というやつか。

中年の危機とは、嫉妬心なのかもしれない。そんな嫉妬にはキリがない。それなりに成功した人でも、上には上がいるから。憧れの職業に着いたとして、夢を叶えたとしても、なってしまえばそれは日常だから、それ以上の活躍をする人、あるいは選ばなかった方の自分の人生への嫉妬心が沸いてきて、きりがない。

プロ野球選手になっていたら、私は大谷翔平さんに嫉妬していただろうか。

え?大谷翔平さんに嫉妬?と考えてから、私は嫉妬心から解放されたのでした。

 中年の危機の乗り換え方とは、自分とはかけ離れた遠い所にいる人物に嫉妬してみるのがいいかもしれない。馬鹿らしくなって、日常のありがたみが腑に落ちるから。