オブネココラム

ほそぼそ産業医 その他MD.PhD.。ご放念下さい。

秋刀魚は目黒、日記は妄想に限る

今週のお題「日記の書き方」ジェーン・スー堀井美香による、Podcast番組 OVER THE SUN を聴いていると、昔書いた恥ずかしい文章をテーマにお喋りが始まった。
 スーさんは、17歳の頃に妄想で書いた、ハードボイルドなポエムを紹介。堀井さんは、高校生の時の、彼氏とのラブラブなひと時を記した日記の一節を紹介していました。
 まず、スーさんの17歳とは思えない文才に驚く。そのまま歌謡曲としても通用するんじゃないかと思うほどの完成度の高いポエム。そして、堀井さんのは、女子高生の可憐さと危うさが滲んだ文章。
スーさんは自虐的に言いました。これは、モテと非モテの違いだ。私は妄想で書いてて、かたや実際に彼氏がいて書いてるのよねえ、と。
スーさんには、恐らくそういう含意はないと思うけれど、文学や芸術に関わる凄い事を言っていると思いました。つまり、人は想像力を働かせる時の方が、芸術的な高みに登れるという事。それから、経験を切り取った表現というのは、どうしたってその人の魂までも切り取ってしまうから本人は疲弊していくし、酷い場合は身を持ち崩してしまう。そしてその事は、過去の偉大な芸術家の例をあげるまでもなく、本能的に誰でも分かっているという事。
ショパンも、エディットピアフも、西村健太も、現世での人生は伝え聞くだけでも、壮絶で哀しいものだったようです。あまりに壮絶な人生は、芸術に昇華させるしかなかったのかも知れませんが、普通の人が穏やかな人生を望むなら、魂が剥き出しになるような日記は、死ぬまで他人には見せない方がいい。架空の物語を語るべきなのでしょう。
 妄想日記。これが、凡百の人生の慰みにはちょうどいいのだ。という事で、今日もせっせと想像的妄想を書くことにしましょう。