オブネココラム

ほそぼそ産業医 その他MD.PhD.。ご放念下さい。

タイムパフォーマンスがいいとか悪いとか

ライターの稲田豊史さんが、「映画を早送りで観る人達」で、映画やドラマなどの動画を初見で「倍速視聴」「10秒飛ばし」する事が習慣化している若者について書いている。
 もはや若者ではない私も、一時、撮り溜めしていたTV番組を見るのに1.2倍速とかで見ていました。音声もなんとか聞き取れるし、展開が早いので、頭の体操になるなあと思いながらやっていました。その時感じたのが、ハイヒールリンゴさんは普段から1.2倍速程度で話すので、それを1.2倍速にすると、何を言っているかわからない、というよりは話しが早すぎて理解が追いつかない。あの発語の速さと、口語とはいえ論理を組み立てる速さに改めて舌を巻きました。ぐるぐる。
 さて、稲田さんが掘り起こしたひとつには、かつてとは比べものにならないほど、若者が忙しい事があげられるそうです。お金はないが時間はあった、かつての大学生。今は大学の講義にもきちんと出席しないといけないし、仕送りも減っていて生活の為にバイトしないといけないから忙しい、のだそうです。牧歌的なものがない、と。考えてみると、若者でなくても、最近は、老若男女みーんな、どうにもこうにも忙しそうです。どうしてこうなったのでしょう?
 とある研究室の片隅にある古い顕微鏡に、フィルムカメラが固定されていた事を思い出しました。それを何に使っていたか考えると、昔は色々とやる事が多くて大変だったんだろうなあ、と思った事があります。今なら、顕微鏡の映像は隣のモニターに映し出されているし、綺麗な画のみ静止クリックして保存すればいい。フィルムカメラなら、現像が終わるまで、撮れているかどうかさえわからないという途方もない時間の無駄が生じていたはずです。
でもまてよ、便利になった分だけ仕事量は減って、お茶飲んでゆっくり出来るのか?と言うと、何故だかやる事は逆に増えていくのです。例えば、顕微鏡画像一つとっても、ただ細胞が見えればいいっていう時代から、様々なタンパク質を染色してしかも色分けして同時染色してみたり、発現量を定量してみたり、やる事は増える一方。結局、時間なんていくらあっても足りない。
つまり、進歩とは、その分だけ細分化され、手間が増えていくという事。医師国家試験の出題範囲も、年々膨大になっていて、おそらくひと世代前の医師が最新のイヤーノート(ほぼ全ての医学部生が持っている参考書)を見たら、そのページ数の膨大さに腰を抜かすと思います。これは、どの分野でもおそらく同じで、進化し続ける世の中ではやるべき事、学ぶべき事が多すぎる為に誰もが忙殺されていて、常に時間が足りない。勢い、タイムパフォーマンスなんていう考え方が生まれたりするのでしょう。若い人が忙しいのは、物理的に忙しいのだと思います。
 世の中の進歩に合わせて、仕事量は減るどころか、増えて忙しくなるという事は、機械化が進んだりAIが進歩して、人の仕事を奪うのではないかと心配するよりは、仕事が増えて忙殺される事を心配しないといけないという事でしょうか?
あれ?ラッダイト運動とか、シンギュラリティとか、何だったんだろうという結論になってきました。マルクスとかシュンペーターとか、ちゃんと勉強してこいって怒られそうだけど、でもだって、仕事が増えるのは事実なんですよ、困った事に。