オブネココラム

ほそぼそ産業医 その他MD.PhD.。ご放念下さい。

欲望という名の電車が参ります

今週のお題「わたしのコレクション」

いわゆるキン消しキン肉マンシリーズの消しゴム)とか、子供の頃に集めたなあ。とかいうと年齢がバレるのだが、当時からコレクションする事の楽しみ方が今ひとつ理解出来なかった。友達が集めてたから自分も何となく欲しい気がして集めてみた、子供っぽいコレクション。結局それ以後は何のコレクターにもなれずにきました。阪神大震災で自宅が全壊全焼し、文字通りに身ぐるみ剥がされた経験も大きいかも知れない。健常な心身さえあれば、静物である物は失っても本当の意味で困る事はないんだという事が身に染みてしまうと、コレクションしようという気にはなれないのでした。

なーんてエラソーに言いながらも、物欲そのものはなくならないんですよね、これが。あれが欲しいこれも欲しいは止まってはくれない。よく言えば人間味があり生きる力がある、悪く言えばしぶとく欲が深い、我ながら。

 人の欲望というのは入れ子構造というか、どうにも複雑な構造をしています。子供は、友達が欲しがる物を欲しがるし、大人でも似たようなもので、他人が欲しがる物が欲しくなる。だからこそヒット商品は次々と生まれ、集団の欲望が満たされるとブームは終わり忘れ去られる。欲望はまた不思議で、他人の欲望が満たされるのを見ているだけで自身の欲望が満たされる、という事が起きる。子供が美味しそうに食事して満足するのを見ているだけでこちらが満足できる。どうにも不思議な能力です。

では、その他人の欲望の行き着く先が破滅だったとしたら? 

欲望といえば「欲望という名の電車」。

かの名作は、身もふたもない言い方をすると、名家に生まれた美しく上品な女性がどんどん落ちぶれ悲惨な目に遭い、最後は発狂して精神病院へ入れられる。なんていう壮絶な悲話です。そんな物語なのに名作として残り続けるのは、他人の欲望の行く末を見届けるだけで、たとえそれが破滅的なものであっても、観る側の各々の欲望が消化されて何か良きものに昇華する事が解っているからなのでしょう。

但し、それだけではないのが名作と呼ばれる所以。主人公ブランチは迎えに来た精神科医に手をひかれて精神病院という終着駅にたどり着きますが、妄想の世界で生きる事を選んだ彼女にとっては、そこは幸せの駅なのだろうという妄想に、観る側は誘われてしまうのでした。

欲望という名の電車が目の前を通過した後、一陣の風が吹いて頬を撫でる。ふと我に帰る。電車が通過するのを見送っただけなのに、ほんの僅かだけ、違う人格になってしまっている事に気がつく。そんな風に、物語の持つ力は果てしない。

 もしかすると誰もが、それと気づかぬうちに物語の持つ力に手をひかれ、文学や映画という方法で物語を欲望し、コレクションをしているのかも。

人類みな、物語コレクター。