オブネココラム

ほそぼそ産業医 その他MD.PhD.。ご放念下さい。

袖触れ合わないも他生の縁

ラジオで、独り山登り始めましたと、とある芸能人が語っていた。独りで山登りしている人は意外と多いけど、みーんなスマホ見てんだよ。そんなんだったら誰かと一緒に来ればいいのに。せっかく山に来て、何でスマホ見てんだよと思うね、と言っていた。別の番組では、ソロキャンプを楽しむ人が、SNSで繋がっているから寂しくはない。とインタビューに答えていた。
SNSは楽しみ方がよく分からないし、電話もなんとなく苦手で、でも対面での仕事は好きな私としては理解がついていかないのだがSNSは寂しがりやなのに一人になりたいというビミョーな現代人の心にちょうどいいのか?と推察する。
 ふと、SNSやオンラインでのコミュニケーションが人間関係の主流になった日の事を考えてみた。遠い未来ではないのかも知れない。リモートワークは仮想空間のアバターで、とか仮想空間の不動産売買とか、意味の分からないニュースを仄聞することが増え、眩暈がするのだが。
オンラインでは嗅覚と皮膚感覚をシャットダウンしている。嗅覚は記憶や情動の脳領域に直接伝達されるから、その情報を止めると、言語化出来ないが確かにあるはずの能力が落ちる、つまり勘が働かなくなりそうだ。そして皮膚感覚も、とても重要だ。人間は進化の過程で体毛を捨てて皮膚感覚を取ったのでは?という説もある程で、聴覚では聴こえない音域の音を含むハイレゾ音源は皮膚で感じていると考えられている。皮膚感覚の欠如した状態では、例えば愛犬との信頼関係は育ちそうもない事を考えるとこの感覚をシャットダウンした時、恋愛とか情愛とか、消えてしまいそうで恐ろしい。
こういう、ある感覚をシャットダウンしたオンラインコミュニケーションというのは、視覚障害とか聴覚障害を抱えた状態でのコミュニケーションの様に捉える事が出来るのでは?と考えてみた。例えば視覚障害があるとコミュニケーションは阻害されてはいるものの、工夫次第でどうにかなる、というかどうにかしているという観点から。
そう考えるとオンラインが主流になった社会では、嗅覚皮膚感覚といった感覚の欠如というハンディキャップを背負って社会を回していくという事になる。このハンデを我々人類はどの様にして乗り越えるべきなのか。あるいは必要ないとしてこれらの感覚を退化させるのだろうか? 答えはおそらく100年後にならないと分からない。百年後の人間社会はどうなっているのか知りたいなあ。