オブネココラム

ほそぼそ産業医 その他MD.PhD.。ご放念下さい。

ふゆふゆ冬毛の季節

今週のお題「防寒」0655のおはようソングに、冬毛の歌という歌がある。0655のおはようソングは、本当にどれも珠玉揃いだ。優しさと温もりに溢れた歌詞と、ゆったりとした音律。音楽の素養の全くない者にも、それだからこそなのかのか、基礎的な音楽的作法に忠実に従った時に立ち登る様な、普遍的な心地良さを感じる。茶道や華道や、将棋の定石を踏んだ時にも立ち昇る芸術的な美しさは門外漢にも理解できるし、理解して堪能したいと思う。そこに注ぎ込まれたであろう情熱や苦労や才能に想いを馳せながら。そして、そういう、分厚くて確かな技術と知識に裏付けられた仕事人に、私もなりたいと思う。職能人として、もっと修練せねば。
 冬毛の話だった。
我が家には美しい姫君がいる。それはそれは美しい、浅葱色の瞳を持ち、いつもふわふわの襟巻きで着飾っていらっしゃる。少し首を傾げて、その大きな美しい瞳で見つめられると、どんな者も、魔法にかけられた様に従者の誓いをたててしまうだろう。知らず知らずのうちに跪き、小突き回される事に喜びを見出してしまうのだ。それを分かっていて、姫君は時々、不意に、かんしゃくを起こして従者に手打ちをなさる。そうして従者の手には赤く、細い傷が何筋か残る。それは従者の印であり、自慢の古傷なのだ。まるで、戦国の武将が古傷を自慢する様に、従者は傷跡を誇らしく思っている。
気高い姫君は反面、いつまでも幼く、時折、母の温もりを求めなさる。冬になるとその想いは募る様で、従者にその代わりを求めなさるのだ。しっかりと従者にしがみついて暖を取る、その姫君の愛らしさに、従者はまた、ひとしおに喜びを感じる。冬の寒さは、生きとし生けるものの温もりを再確認させるものとなるのだ。
 猫の話である。ネコ姫様は、私がフリースの上着を着ると、飛んできてしがみつく。そして、その小さなお手てで、ふみふみ、抱き上げた肘のその窪みに顔を埋めてチュパチュパが、止まらなくなる。愛らしくてかわいいのだけれど、フリースを着ないで抱き上げても、ふみふみしようとはしないし、脱ぎ捨ててあるフリースにも興味を示さない。つまり、どうやら冬毛の飼い主は好きだか、毛皮だけが落ちていても、それには興味がない様なのだ。猫の気持ちはやはり、よくわからない。しかしそれが、猫が猫である所以なのだと思うと、ただ、愛らしい。
 今年もまた、冬毛の季節がやって来た。