オブネココラム

ほそぼそ産業医 その他MD.PhD.。ご放念下さい。

文化的雪かき

 村上春樹先生の物語の中に「文化的雪かき」を仕事とする主人公が出て来ます。フリーランスのライターの僕は言う。

「穴を埋める為の文章を提供してるだけのことです。何でもいいんです。字が書いてあればいいんです。でも誰かが書かなくてはならない。で、僕が書いてるんです。雪かきと同じです。文化的雪かき」

自分の仕事をブルシットジョブ、とか言わずに文化的雪かきと表現するのはとても知的で、僕は、自分の仕事を愛していて誇りに思っているのだと私は理解していました。

 ある日、ちょっとした業界誌に、小さな特集ページがあって、それに出てくださいというオファーがありました。写真を2枚分撮ります。文章はインタビュー形式で、カメラマン兼ライターが伺います、との事でした。私は、あ、文化的雪かきさんに会える、と思い快諾しました。売っている本ではなく、業界だけで細々配られている雑誌だし、活字中毒でもなければ、文章なんて読まれないような雑誌です。

インタビューに来たライターの方に、文化的雪かきですね。と言ってみたら、すこし寂しそうにされて、村上春樹ですね。とあっさり流されてしまいました。彼にとって文化的雪かきとは、ブルシットジョブと同じような蔑みの言葉に聞こえたのでしょうか?なんとなく今でも悔やまれます。あれは文章中毒の私からの、分かりにくいお世辞だったのですよ。

彼から送られた文章は、悲しいほど当たり障りのないものでした。それなので、申し訳ないけれど原型を留めない位に書き換えて通してもらいました。後日、彼には会社を辞める事が決まっていて、これが最後の仕事だったと聞かされました。彼はどこかでライターを続けていて欲しいと思います。そうでなければ、まるで私が最後にトドメを刺して文章の世界から引退させたみたいで寝覚めが悪いのです。

 ところで、時々、Twitterでも、批判なんだか誹謗中傷なんだかわからない、攻撃的な書き込みに、冷静にお返事されている方がいます。映画評論家の町山智浩さんは、そういう一人だと思います。Twitterは魔物がいるから怖い、とか思っている様な私なぞを、何を考えているのか知りたいと思わせて細々とTwitter界への扉を開けたままにさせる、敬愛する方のお一人なのですが、こういう、町山さんがされている様な作業こそが、文化的雪かきなのでしょう。

殆どの場合、無知や思い込みや、怯えから来る攻撃性に発動される書き込みに対して、冷静に事実を教示する事は、ぼんやりそれを眺めているだけでも、とても勉強になります。そして誠実で知的な社会がまだ生きていると実感できて嬉しくなります。Twitterで流れ去ってしまうのが勿体無いと思うのですが。

結構な労力を要するけど、誰がやらないといけないけれど、その功績は讃えると消え去って行く性質のものだから讃えてはいけない。そして、本当の雪かきとはそんな簡単なものではないと批判されてしまう。文化的雪かきとは、そこまで含有した比喩だとすると、村上春樹先生、凄い。