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源実朝 実朝的なもの

源実朝(みなもと さねとも)

父は鎌倉幕府を開いた源頼朝母はその正妻の北条政子。二代めを継いだ兄、頼家が追放されると12歳で征夷大将軍に就くが、政治の実権は北条氏が握っていた。官位の昇進を自ら望み、右大臣に任ぜられるが、その翌年28歳の時に、鶴岡八幡で頼家の子公暁に暗殺された。これにより源氏は断絶した。歌人としても知られる。


太宰治による「右大臣実朝」という小説の中にこの様な一節があります。

平家ハアカルイ

アカルサハ ホロビノ姿デアロウカ

人モ家モ暗イウチハマダ滅亡セヌ

と、誰にともなく独り言をおっしゃって居られた事もございました。同じ平家琵琶でも源家の活躍のところはあまりおもとめにならないやうでごさいました。〟


和装束の衣摺れの音や、焚きしめたお香の香りが立ち昇るような美しい文体です。

は、さておき。

父である頼朝が平家を打倒して立ち上げた鎌倉幕府。そして、その家督を継いだ三代目としてはなんだか不可解です。

 吉本隆明は、この太宰治の実朝を、非常に鋭敏な神経と、鋭敏な洞察力を持っていて、何もかもお見通しであるっていう風でありながら、お見通しであるってことについてはひと言も言わないで、人が担いだ神輿の上に何年でも乗っかってのほほんとしておられる感じと評しています。

つまり実朝は、平家と同様に源家もいつか滅びる。そしてそれは自分の代であろうと見通していたが、その事についてはひと言も語らず鷹揚に過ごしていた。滅びは、平家に倣うなら、明るい我が世の春が来た後である。そうであるなら滅びの日はせめて明日ではなく、もう少し先だろうと見通し、またそう願っていた。ということなのでしょう。

実朝はまた、武士政権の最高権力者でありながら朝廷からの官位を望み、右大臣にまで昇進しています。だから、太宰治の実朝は、題名が「右大臣実朝」。その理由は、源氏の正統は自分達で絶えるからせめて官位を帯び家名を上げたいと考えていたという事になっています。が、本当の所はわからない。

実朝の人物像について太宰治が描き、さらにその太宰治版実朝を吉本隆明が取り上げて考察している。この、知の巨人達の知的好奇心のマトリョーシカの中心にいる実朝って何なんだろうと、さらに一回り外側から興味深々になってしまいました。もちろん、一読者としてのこのレベルになると、どうしたって実体としての実朝と言うよりは、実朝的なものへの好奇心へと変化していますが。

 実朝的なもの。それはとても日本的な社会の回し方で、頂点にいる人は特に何を言う訳でもなくただ黙って神輿に乗っかっている。下位の忖度部隊が実務をこなす。そういう、組織の運営方法そのものに見えます。

人は自分ひとりのためには大した力は湧いてこないけれど、誰かの為であれば馬鹿力を発揮するものです。これは良き方向に流れが向けば、忖度部隊がワンチームとなり素晴らしい成果が得られるでしょう。けれど悪い流れに竿させば、止められなかった太平洋戦争や、現在進行中の腐敗政治を止められない社会構造となるのだと思います。各々が、自分が竿さすこの流れがどこへ向かっているかについて常に自覚的でなければならない。自覚的でない人が社会の多数派となった時、流れは悪い方向へ向かうのでしょう。とはいえ、一人の実務家としてあるいは生活者として、これは悪い流れだと思った時に、こんな事は間違っている、と毅然と逆らうことが出来るのか?という問題も残ります。自分が下っ端役人だったら、良心に反する事でも改竄でも、きっと上司に逆らえなくて言われた通りにしてしまうのではないかと思います。残念ながら。そんな人の心の動きをNetflix版新聞記者では丁寧に描いていますが、それは別のお話でした。

 ところで、もしかして実朝自身がそうだったのではないか、という疑問が湧いてきました。貴族的な様式にスポイルされた日常生活。優雅な生活の上でしか開花しない事が分かっている、自身の和歌の才能。将軍として幕府政府の舵取りをさせてはもらえないが、だからといって将軍を降りて歌人として生きて行くことも出来ず、ただ流されるだけだったのでは?

実朝本人が実朝的なものに流されるしかなかった人生の中で見せたのが、あの和歌の才能だとすると、実朝の和歌の美しさがとても沁みます。


世の中は 常にもがもななぎさこぐ

あまの小舟の綱手かなしも


  しかし同時に、実朝的なものに巻き込まれて散った人生が実朝本人以外にどれだけあったのか、に思いを馳せると、実朝的なものは美学だけで終わらせてはいけないとも思います。実朝的なものが悪魔的な流れとなって組織や社会を押し流そうとする時、私達の良心は踏みとどまって逆らえるのでしょうか。

少なくとも逆らう人達の側に居たいとそれだけを願います。